キンナ、小フラックスらの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
「ガイウス・マリウス」の記事における「キンナ、小フラックスらの死」の解説
指導者であるマリウスを失った民衆派は残されたキンナの手に委ねられた。キンナは小フラックスを同僚執政官に指名し、マリウスと同じく執政官への連続当選を続けた。紀元前86年、キンナは小アジアに小フラックス率いる遠征軍を差し向けてミトリダテスと戦うスッラを挟み撃ちにする計画を立てた。しかし遠征軍を乗せた船団が悪天候で損害を受けて士気を落とし、小フラックスが人望を欠いていた事もあって逃亡兵が相次いだ。やがてマリウスの熱心な信奉者であったガイウス・ファビウス・フィンブリア(英語版)の軍団が反乱を起こし、小フラックスはニコメディアで捕らえられて処刑された。 紀元前85年、ミトリダテスがスッラと和睦を結ぶとフィンブリアはポントス王子ミトリダテス・コルキス(英語版)の軍に戦いを挑んで勝利したが、敵の援軍としてスッラ軍が合流すると勝機は失われた。フィンブリアは自害に追い込まれ、残された軍団はスッラに恭順して第一次ミトリダテス戦争は終結した。スッラの勝利に元老院内でスッラとの和睦が持ち上がると、焦ったキンナは自ら遠征を試みて強引に荒れ狂う海への航海を推し進めようとしたが、それが仇となって陣営地で起きた反乱で殺害された。キンナ、小フラックスともにマリウスの様な威厳や経験を持たず、独裁的で人望もなかった事から軍の忠誠を勝ち取れなかったといえる。
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