キリンビール発祥の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:41 UTC 版)
「横浜市立北方小学校」の記事における「キリンビール発祥の地」の解説
現在の学校敷地および隣接する児童公園「キリン園公園」の一帯は、明治初期には山手居留地123番地と呼ばれた。1870年(明治3年)には、ウィリアム・コープランドが「スプリングバレー・ブルワリー」を開設。良質な井戸水を使い、この地でビールの醸造を始めた。スプリングバレー・ブルワリーは、1869年(明治3年)にローゼンフェルトが創業した「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」に次ぐものであるが、ジャパン・ヨコハマ・ブルワリーは5年程度で廃業した一方、スプリングバレー・ブルワリーは「ジャパン・ブルワリー」に引き継がれ、1907年(明治40年)にはキリンビールとなる。1923年(大正12年)には関東大震災で倒壊し、生麦に移転。跡地に北方尋常小学校が建設された。当時の名残として、キリンビールの寄贈により1967年(昭和43年)に修復された「ビール井戸」が校内に保存されている。キリン園公園には、麒麟麦酒開源記念碑が建てられている。これらのビール醸造関連の遺構は「ビール製造発祥の地(ビール醸造所跡)」の名称で1997年(平成9年)11月4日に横浜市登録地域史跡として市の登録文化財に登録されている。
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