キリスト騎士団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/30 05:50 UTC 版)
キリスト騎士団(キリストきしだん、ポルトガル語: Ordem Militar de Cristo)は、ローマ教皇の命令により1312年に廃止されたポルトガルのテンプル騎士団に相当する勲位である。以前は主イエス・キリスト王立騎士団(Real Ordem dos Cavaleiros de Nosso Senhor Jesus Cristo)であった。カトリック教会の影響下にあった他の主権国家ではテンプル騎士団に対して追及と裁判が行われたが、これを拒んだポルトガル王ディニス1世の保護を受けて1318年に創設された。
- ^ a b Herbermann, Charles, ed. (1913). Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company. .
- ^ “ANTIGAS ORDENS MILITARES” (Portuguese). Bem-vindo a pagina oficial do Grao-Mestre das Ordens Honorificas Portuguesas. Presidência da República Portuguesa. 2013年3月21日閲覧。
- ^ a b c d “GRAUS E INSÍGNIAS DA ORDEM MILITAR DE CRISTO” (Portuguese). Bem-vindo a pagina oficial do Grao-Mestre das Ordens Honorificas Portuguesas. Presidência da República Portuguesa. 2013年3月21日閲覧。
- 1 キリスト騎士団とは
- 2 キリスト騎士団の概要
- 3 キリスト騎士団と関連する人物
キリスト騎士団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 22:13 UTC 版)
「トマールのキリスト教修道院」の記事における「キリスト騎士団」の解説
1312年、全ヨーロッパ世界で、テンプル騎士団の活動が禁止された。しかし、ポルトガルで活動していたテンプル騎士団のメンバーを中心に、当時の国王ディニス1世は新たに、キリスト騎士団を結成した。1357年に、トマールに移ったキリスト騎士団がここを本拠地とした。 トマールのキリスト教修道院のハイライトは、1417年から1460年にキリスト騎士団の団長を務めたエンリケ航海王子の時代である。エンリケは、レコンキスタが終了したポルトガルを大航海時代に飛躍させた立役者であると同時に、トマールのキリスト教修道院では、墓の回廊・沐浴の回廊を増築した。 1484年にキリスト騎士団の団長に就任し、1492年に国王になったマヌエル1世もまた、修道院の増築を行った。円堂へいたる新しい回廊を建設するとともに、修道院内部の装飾や絵画を増設した。 マヌエル1世の後を継いだジョアン3世は、クレルヴォーのベルナルドゥスの宗教観を持った国王であると同時に、1557年には、新しい回廊の建設を命じた。この回廊はポルトガルにおけるルネサンス建築の中でも特筆すべきものがある。 1581年、スペインとポルトガルの同君連合が成立するとフィリペ1世を国王として認めた。スペインとの同君連合時代に、修道院への送水路が建設された。
※この「キリスト騎士団」の解説は、「トマールのキリスト教修道院」の解説の一部です。
「キリスト騎士団」を含む「トマールのキリスト教修道院」の記事については、「トマールのキリスト教修道院」の概要を参照ください。
- キリスト騎士団のページへのリンク