キューバ、ラテンアメリカへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 03:40 UTC 版)
「レジス・ドゥブレ」の記事における「キューバ、ラテンアメリカへ」の解説
1961年、1962年の二度にわたってキューバを訪問していたドゥブレは、1965年にキューバのハバナ大学に哲学教授として赴任。フィデル・カストロとの知的交流を深め、1967年、『革命の中の革命』を刊行。武装闘争によるキューバ革命の正当性を謳った同書は、世界的なベストセラーとなるとともに、当時のゲリラ戦の理論的教科書として左翼革命家の聖典ともなった。 1967年、ボリビアでのゲバラのゲリラ戦に加わり、現地の治安警察に収監される。これに対し、フランスで助命嘆願運動が沸き起こり、死刑を免れるも懲役30年の刑を受ける。その後、ジャン・ポール・サルトル、アンドレ・マルロー、シャルル・ド・ゴール、パウロ6世らを巻き込んだ国際的な釈放運動により1970年04月に釈放。チリに逃れたドゥブレは、サルバドール・アジェンデを取材し、1972年、『チリの道』を刊行。
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