キューバでの業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 22:04 UTC 版)
「アルベルト・グラナード」の記事における「キューバでの業績」の解説
1960年、グラナードはゲバラから招待され、初めてキューバを訪れた。1年後、彼は家族を連れてキューバに移り、ハバナ大学の医学部で生化学の教授となった。同年には、基礎・予防医学研究所の創設者のひとりにもなっている。1962年、グラナードは同僚たちとともにサンチャゴ大学にキューバで2番目の医学部を創設し、1970年から1974年まで、上級教授として在職した。 1975年から1986年にかけての時期に、グラナードは生化学で博士号を取得し、モスクワで開催された遺伝学の世界会議に出席した。また、当時のレニングラードで開催された生物多形性会議にも出席し、ホルスタイン牛の熱帯における飼育の議論に大きく関わった。1978年には、ゲバラと同行した1951年から1952年にかけての南米旅行についての手記『Con el Che por Sudamerica』をスペイン語、イタリア語、フランス語で公刊した。 1986年から1990年まで、グラナードはキューバ遺伝学協会の創設に関わり、会長を務めた。 1991年から、引退する1994年まで、グラナードはベネズエラやスペインの大学で、これまで行なってきた研究の検証や方法論的検討に時間を費やした。1997年には、キューバとの連帯、ゲバラ思想の国内外への普及を図る運動に参加した。 2002年から2003年にかけて、グラナードは、彼の手記『Con el Che por Sudamerica』と、ゲバラの死後、1967年に刊行されたゲバラの残した記録をもとにした、ウォルター・サレス監督の映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の制作現場に同行し、助言を与えた。映画のエピローグでは、グラナード自身がカメオ出演している。グラナードの手記が最初に英語で公刊されたのは、2003年で、この翻訳には『Travelling with Che Guevara: The Making of a Revolutionary』という題がつけられた。 2008年には、アルゼンチンのロサリオで開催されたゲバラの生誕80周年記念式典に出席した。
※この「キューバでの業績」の解説は、「アルベルト・グラナード」の解説の一部です。
「キューバでの業績」を含む「アルベルト・グラナード」の記事については、「アルベルト・グラナード」の概要を参照ください。
- キューバでの業績のページへのリンク