キュネイルス、チェンワルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 16:50 UTC 版)
「ウェセックス王国」の記事における「キュネイルス、チェンワルフ」の解説
ウェセックスの歴史の著述に信憑性のある年月が残されるのはキュネイルスの治世になってからである。630年代の後期、恐らくは640年に聖ビリヌス(en:Saint Birinus)がキュネイルスに洗礼を施しウェセックス王国に司教区を設け、ドルチェスター・オン・テムズ(en:Dorchester-on-Thames)を本拠とした。 この洗礼の出来事は西サクソン王国の中では最初の改宗の例となったが、かと言ってこれが先鞭で改宗が続いたわけではなく、642年頃に次のチェンワルフは異教徒のまま王位を受け継いだ。しかし数年後、彼が洗礼を受けるとウェセックス王国はキリスト教の王国としての基盤ができあがるようになった。洗礼の際に彼に洗礼名を名づけた人物はノーサンブリア王オスワルド(en:Oswald of Northumbria)であり、この洗礼は以前よりウェセックス王国を圧迫していたマーシア王ペンダに対する盟約の意味合いも含まれていた可能性もある事が指摘されている。
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