キエフ奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/20 16:54 UTC 版)
「ボレスワフ1世のキエフ遠征」の記事における「キエフ奪取」の解説
1018年、バウツェンの講和(ru)により神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世との戦争を終結させたボレスワフは、キエフ大公位に就いていたヤロスラフに対する遠征軍を起こし、ヴォルィーニに侵入した。ボレスワフの軍勢には、ポーランド人に加え、300人のドイツ人、500人のハンガリー人、1000人のペチェネグ族も含まれていた。スヴャトポルクもまたこの遠征軍に参加した。これに対してヤロスラフは、ルーシ人とヴァリャーグからなる軍勢を率いて出撃した。ボレスワフとヤロスラフの軍はブク川河畔で遭遇し、戦闘となった。ヤロスラフ軍の戦闘準備の遅延を見て取ったボレスワフはブグ川を渡って急襲し、ヤロスラフを破った。ヤロスラフはノヴゴロドへと撤退し、ボレスワフとスヴャトポルクはキエフに入城した。
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