キエフ大公国以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/05 06:00 UTC 版)
14世紀から17世紀にかけてのモスクワ・ロシアやリトアニア大公国においては、ヴェリーキー・クニャージ(大公)に仕えるチウンに関する記録がある。彼らは大公の財産や、都市、郷(ヴォロスチ)の統治に携わった。これらのチウンはナメストニクの役割を担い、裁判権を行使し、貢税を徴収した。なお、リトアニア大公国のハールィチ・ルーシ地方(旧ハールィチ・ヴォルィーニ大公国領)では、チウンは村落共同体(ru)の中から選出されるという、キエフ・ルーシ期の法律(ru)に見られるような形態を維持していた。
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