キエフ攻囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:18 UTC 版)
「ルーシ内戦 (1015年-1019年)」の記事における「キエフ攻囲戦」の解説
1017年、キエフはスヴャトポルクとペチェネグ族に包囲された。なお、B.ルィバコフは、この包囲戦は『エイムンドのサガ』に詳しく記載されているものに相当すると述べている。 スヴャトポルクがキエフに攻め寄せると、城壁に加え、柵や堀が設置されていた。また、攻め手の一部は仕掛けられた罠に陥った。キエフの2つの城壁は開かれたままであり、それぞれヤロスラフのドルジーナ隊と、エイムンドのヴァリャーグ隊が守備していた。攻囲戦の渦中、ペチェネグ隊が都市への侵入に成功したが、やがて駆逐された。転じて、守備隊が要塞から出撃し、スヴャトポルクの旗を奪った。
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