ガルワール王国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ガルワール王国の意味・解説 

ガルワール王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 06:20 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ガルワール王国
गढ़वाल राज्य
गढ़वाळ रजौड़ा
823年 - 1948年
(国旗)

版図(1907年 - 1909年
公用語 ガルワーリー語ヒンディー語サンスクリット
首都 デーヴァルガル(1500年-1519年)
シュリーナガル(1519年-1804年)
テヘリー(1815年-1862年)
プラタープナガル(1862年-1890年)
キールティナガル(1890年-1925年)
ナレーンドラナガル(1925年-1948年)
ラージャマハーラージャ
823年 - 888年 カナクパール
1684年 - 1716年 ファーテー・シャー
1946年 - 1948年 マナベンドラ・シャー
変遷
建国 823年
藩王国 1815年4月12日
インド連邦へ加入 1948年5月18日
現在 インド

ガルワール王国(ガルワールおうこく、英語:Garhwal Kingdom、ヒンディー語:गढ़वाल राज्य)は、北インドガルワール地方を支配したヒンドゥー王朝(9世紀 - 1947年)。首都はデーヴァルガル(1500年-1519年)、シュリーナガル(1519年-1804年)、テヘリー(1815年-1862年)、プラタープナガル(1862年-1890年)、キールティナガル(1890年-1925年)、ナレーンドラナガル(1925年-1948年)

1815年4月12日イギリスと軍事保護条約を締結し藩王国となった。

歴史

9世紀ラージプートのカナク・パールによりガルワール王国が建国された[1]

18世紀末、ネパール王国の摂政バハドゥル・シャハは武将ダモダル・パンデ、アマル・シンハ・タパに西方遠征を命じ、二四諸国を制圧したのち、ガルワールへと侵入した[2]。ネパール軍はアクラナンダ川を越え、ガルワールの首都シュリーナガルにまで到達した[2]

1792年清・ネパール戦争が勃発すると、ネパール王国は極西に進出していたアマル・シンハにガルワール王国と講和するように命じ、呼び戻させた[3]。だが、ネパール王国は清は清と講和したのち、再び西方に進出し、1804年にアマル・シンハの軍勢がアルモーラー地方を越えて、ガルワールを制圧した[4]。同年に王は戦闘で殺害され、1814年までネパール王国に領土が占領されていた。

1814年イギリスとネパール王国との間にグルカ戦争が勃発すると、イギリスはガルワールにも兵を進めた[5]。ガルワールにいたネパール軍はアマル・シンハとその息子ラナジョール・シンハ・タパの下で戦った[5]。その一方でガルワール王国もイギリス側で参戦した。

1815年4月21日、ガルワール王国はイギリスと軍事保護条約を締結し、イギリス従属の藩王国となった。同年5月、アマル・シンハはイギリスと講和し、彼と息子の財産を保証する代わり、ガルワール地域の塞を英軍に明け渡すこととなった[6]

1947年8月15日インド・パキスタン分離独立時、ガルワール藩王国はインドへと併合された。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ A Brief History of Garhwal”. 2016年7月11日閲覧。
  2. ^ a b 佐伯和彦 2003, p. 504.
  3. ^ 佐伯和彦 2003, p. 505.
  4. ^ 佐伯和彦 2003, p. 510.
  5. ^ a b 佐伯和彦 2003, p. 512.
  6. ^ 佐伯和彦 2003, p. 515.

参考文献

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年。 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ガルワール王国」の関連用語

ガルワール王国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ガルワール王国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのガルワール王国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS