ガルシア6世 (ナバラ王)とは? わかりやすく解説

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ガルシア6世 (ナバラ王)

(ガルシア・ラミレス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:00 UTC 版)

ガルシア6世
García VI
ナバラ国王
在位 1134年 - 1150年

出生 1112年
死去 1150年11月21日
ナバラ王国、バジェ・デ・イェリ
配偶者 マルガリータ・デ・ライグレ
  ウラカ・デ・カスティーリャ
子女 マルガリータ
サンチョ6世
ブランカ
家名 ヒメノ家
王朝 ヒメノ朝
父親 ラミロ・サンチェス
母親 クリスティーナ・ロドリゲス
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ガルシア6世(García VI, 1112年頃 - 1150年11月21日)は、ナバラ(在位:1134年 - 1150年)。ガルシア・ラミレス(García Ramírez)とも、またヒメノ家のナバラ王では同名の王の4人目であるためガルシア4世とも呼ばれる。

アラゴンサンチョ1世による併合以来58年にわたり、アラゴンとナバラは同君連合となっていたが、ガルシア6世からは再びナバラは単独の王を戴くことになった。ガルシア・ラミレスによりアラゴンからの独立がなったことから、「復興王」といわれる[1]

生涯

12世紀初めの生まれ(生年不明)。父ラミロ・サンチェスガルシア3世の庶子でサンチョ4世の異母兄弟であるサンチョ・ガルセスの子。母クリスティーナ・ロドリゲスはエル・シッドことロドリーゴ・ディアスの娘であった。

1134年、アラゴン・ナバラ王アルフォンソ1世は、自身の王国をテンプル騎士団聖ヨハネ騎士団に譲渡することを遺言し、死去した。しかしアラゴン王国およびナバラ王国の貴族らはこの遺言を拒否し、それぞれ独自に後継の王を選んだ。アラゴンがアルフォンソの弟ラミロ2世を王位に就けたのに対し、ナバラは貴族・高位聖職者・都市代表からなる会議がガルシア3世の曾孫であるガルシア・ラミレスを王に選び、それぞれの王の即位によりナバラ王国とアラゴン王国の同君連合は終わった[1][2]

治世はナバラの都市化が進み、オリテ1147年)・モンレアル英語版1149年)にフエロ(特権)が与えられた。一方でカスティーリャアルフォンソ7世に従属する立場となり1135年に臣従を誓い、1147年にアルフォンソ7世が主導したアルメリア遠征にバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世らと共に参戦した[3]

1150年に死去、息子サンチョ6世が後を継いだ。

子女

1130年にマルガリータ・デ・ライグレと結婚し、以下の子女をもうけた。

のち、1144年にカスティーリャ王アルフォンソ7世の庶子ウラカと再婚した。

脚注

  1. ^ a b バード、P66。
  2. ^ バード、P77、ローマックス、P126、P256、西川、P117 - P118。
  3. ^ バード、P67、P81 - P82、ローマックス、P124、西川、P133。

参考文献

  • レイチェル・バード著、狩野美智子訳『ナバラ王国の歴史 山の民バスク民族の国彩流社、1995年。
  • D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動刀水書房、1996年。
  • 西川和子『スペイン レコンキスタ時代の王たち 中世800年の国盗り物語』彩流社、2016年。



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