カーティス島移住計画とは? わかりやすく解説

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カーティス島移住計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 09:38 UTC 版)

カーティス島

20世紀半ば以降、リン鉱石採掘によって国土が荒廃したナウルにおいて、1963年に考えられた住民の集団移住の一連の構想である。主にオーストラリアイギリスニュージーランドの3国が関与し、1960年代にクイーンズランド州カーティス島移住案が提示されたが、ナウル側の拒否により実現しなかった。その後、2000年代に再び移住案が取り上げられたが、同様に頓挫した。

背景

リン鉱石の発見

採掘の様子

太平洋に浮かぶ島であるナウル島はのサンゴ礁の上に何百万年もの間にわたってアホウドリといった海鳥のフンが堆積してできた島であり、その一部が長い時間をかけてリン鉱石に変化した。1899年ニュージーランド地質学者がリン鉱石の鉱床を発見する[1][2]。当時ナウル島を植民地支配していたドイツはイギリス資本の「太平洋リン鉱会社(Pacific Phosphate Compamy)」に採掘権を与え、1906年から採掘が開始された[2]

20世紀前半での採掘

第一次世界大戦後、ナウル島はイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国による国連委任統治領となり採掘が行われた。第二次世界大戦中ナウル島は一時的に日本の占領下におかれた。終戦後には再度、前述の3か国による統治が行われ採掘が行われていた。1960年初頭には年間の採掘量が100万㎏近くになっていた[1]

移住計画の歴史

科学者からの警告

リン鉱石採掘跡地

オーストラリアとイギリス、ニュージーランドは、リン鉱石を掘り尽くし、国土のほとんどは荒廃した状態となった[3][4]。さらに科学者たちは1990年代にナウル島では人が住めなくなると警告した。しかし島の委任統治を担当していた3国は復興には途方もない費用がかかるため、残された選択肢は「全島民の計画移住」しかないと考えた。

計画の開始

ロバート・メンジーズ首相(当時)

1962年、オーストラリアのロバート・メンジーズ首相(当時)はナウル島民の農業・経済発展の機会を奪った事を責任がある事を認めた上で、オーストラリアを含む3カ国は「ナウル国民が納得できる未来を差し出す明確な義務を負う」と述べた[3]。その義務とは、ナウル島民が全員丸ごと移住できる島を探し出す事、もしくは3国の内のどこか一つの国か3国すべてが島民を受け入れると言う事だった。

同年にオーストラリア政府は太平洋「有望な島」が残っていないか、徹底的に調査させた。フィジーパプアニューギニアソロモン諸島、オーストラリア北部海域に至るまで調査をした。しかし現地住民からの反対や経済状況が整っていない事から最終的にはどの候補地も不適当とされた。

カーティス島移住案

1963年、オーストラリア・クイーンズランド州のカーティス島が候補地に浮上した。同島は面積572㎢ほどでナウル島の27倍近くの大きさがある[5]。オーストラリア国籍を取得し、自治権を持ったうえでの農業や漁業牧畜を基盤とする新生活の構想が提示された。住宅地の建設、農地の開拓、インフラの整備といった2億7400万豪ドルに上る費用は支援国が分担することとなっていた。

計画の白紙化

メンジース政権は計画を「ナウル島民の希望に沿う誠実で寛大なもの」だと自画自賛していたいたが、ナウル島に住む住民が移住を拒否した。それはナウル人の多くは、自らの文化的アイデンティティを失うことへの不安を抱いていたことや、ナウル島の完全復興にかかる莫大な費用に比べれば移住費用はたかが知れており、負担回避だと反発したことなどが主な理由であった[3]。さらに、オーストラリア政府自身もカーティス島の主権放棄を拒み、あくまでもカーティス島はオーストラリア領であり、ナウル島の住民もオーストラリア国民となる構想だった。これらの事からナウル島の住民は移住計画を拒否し幻の物となった。

計画の再浮上

2003年に計画が再浮上したことがある。当時のナウルは政権が一年の間に複数回交代し、さらには電話システムの障害で海外と連絡が取れない状況に陥った[6]。オーストラリアは1700万ドルの支援などを行ったが問題の解決には至らなかった。そこでアレクサンダー・ダウナー外相(当時)が、ナウルは「財政が崩壊しており、将来の発展が見込めない」と発言。その解決策として、ナウル政府に対して全住民の国外移住を再度提案した。しかしナウルは、1963年のときと同じく、オーストラリア領に移住すれば国家としてのアイデンティティや文化が失われるとして拒否した[3]

移住計画の構想

  1. オーストラリア政府が私有地であったカーティス島を国有化する。
  2. 農業や漁業といった経済活動を確立させ住宅のインフラなどを整備する。
  3. 島の整備にかかる費用は支援国が分担する
  4. ナウル島住民はオーストラリア国籍を取得し、自治権を手に入れる。(島はオーストラリア領のまま)

脚注

出典

  1. ^ a b 『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』新泉社、2011年。 
  2. ^ a b 太平洋島嶼地域におけるリン鉱石採掘事業の歴史と現在”. 一般社団法人太平洋協会. 2025年9月21日閲覧。
  3. ^ a b c d 希望のない最小の島国ナウルの全人口をオーストラリアに移住させる計画はなぜ頓挫したか”. Newsweek日本版 (2016年8月17日). 2025年9月21日閲覧。
  4. ^ How the entire nation of Nauru almost moved to Queensland” (英語). UNSW Sites. 2025年9月21日閲覧。
  5. ^ Ltd, Scoop Digital Pty. “Curtis Island - Curtis Island Towns” (英語). Localista. 2025年9月22日閲覧。
  6. ^ JAIPAS”. www.jaipas.or.jp. 2025年9月23日閲覧。



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