カルマパ17世の転生論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:07 UTC 版)
「カルマパ17世」の記事における「カルマパ17世の転生論争」の解説
ティンレー・タイェ・ドルジェ en:Trinley Thaye Dorje - 上記のようにウゲン・ティンレー・ドルジェがダライ・ラマ14世と中国政府の双方によってカルマパ17世として認定された。しかしその一方で、筆頭摂政であったシャマル・リンポチェ(カルマ赤帽ラマ)は、シトゥ・リンポチェ発見のカルマパ16世の遺書を偽物だと主張した。そして、シャマルはウゲン・ティンレー・ドルジェを支持せず、別の候補者であったティンレー・タイェ・ドルジェこそが真のカルマパの転生者であると主張し、独自に彼を即位させた。これによって、カルマパ17世がふたり存在することになり、カギュ・カルマ派は多数派と少数派(シャマル派)のふたつに分裂した。ティンレー・タイェ・ドルジェはその後、カルマパ17世を名乗って欧米で独自の宗教活動を広げていた。 2017年3月25日、ティンレー・タイェ・ドルジェはインドのニューデリーで女性と結婚式を挙げ、僧位を放棄することを宣言したが、その後も「カルマパ十七世」名義での活動は続けている。 ダワ・サンポ・ドルジェ - さらに、2001年にもシッキム北東部出身のダワ・サンポ・ドルジェという1977年生まれの青年が「自分こそが真のカルマパ17世である」と名乗りをあげた。ダワ・サンポ・ドルジェは、カルマパの探索者のひとりであったが交通事故死したジャムゴン・コントゥルは自分を選んでいた、と主張し、さらにジャムゴン・コントゥルの死も対立派の陰謀によるものである可能性を示唆した。しかし、ダワ・サンポ・ドルジェはカルマパ16世の死去以前の1977年にすでに生まれていることもあり、前者2人に比べるとダワ・サングポ・ドルジェへの支持は広がらなかった。
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