カルマパとしての認定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:07 UTC 版)
「カルマパ17世」の記事における「カルマパとしての認定」の解説
先代のカルマパ16世はダライラマ法王と同じ1959年にインド亡命後、シッキムで活動し、1981年にアメリカで死亡した。 カルマパ16世の死後、転生者探しがカギュ・カルマ派伝統の4人の高位の化身ラマからなる摂政団(シャマル・リンポチェ、シトゥ・リンポチェ、ジャムゴン・コントゥル、ギャルツァブ・リンポチェ)によって始まった。シトゥ・リンポチェがカルマパ16世の遺書を発見し、それを根拠にして選んだのがウゲン・ティンレー・ドルジェであった。1992年5月にダライ・ラマ14世はウゲン・ティンレー・ドルジェを正式にカルマパ17世として承認した。 他方、中国政府は1989年1月にパンチェン・ラマ10世を失い、同1989年12月にはダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞するなど、中国のチベット政策は苦境に立たされていた。カルマパ17世が認定された翌月の6月25日、中華人民共和国国務院は認定文書を発表した。 チベット亡命政府はダライ・ラマ14世の承認通り、ウゲン・ティンレー・ドルジェをカルマパ17世として紹介している。また、ダライ・ラマ14世は、ウゲン・ティンレー・ドルジェをカルマパ17世とする決定が変更されることは、今後ともありえない、と言明している。なお、ジャムゴン・コントゥルは転生者捜索の旅の途中、交通事故で亡くなっている。
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