カルマパ17世の亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:16 UTC 版)
「チベットの歴史」の記事における「カルマパ17世の亡命」の解説
1998年、中国によって、新中国共産党派のチベット仏教指導者として育成されていたカルマパ17世は仏教修行のためにインドへの旅行を中国政府に打診したが断られ続けていた。当局の監視が強化されたうえに、ツルプ寺で中国人2人によるカルマパ17世の暗殺未遂事件がおこった。1999年12月28日、当時14歳のカルマパ17世はツゥルプ寺を脱出し、2000年1月5日にインドのダラムサラに到着し、ダライラマ14世と面会を果たし、祝福された。
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