カナダ軍の反攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 08:16 UTC 版)
「シャトーゲーの戦い」の記事における「カナダ軍の反攻」の解説
イギリス軍は、スイス生まれのルイ・ド・ワッテビル少将を9月17日にモントリオール方面軍指揮官に指名したばかりであった。アメリカ軍が侵攻してくるという情報に接したワッテビルは数隊の民兵部隊の結成を命じた。前哨基地の指揮官チャールズ・ド・サラベリー中佐は既に防衛部隊の組織化を始めていた。ド・サラベリーは地域の農民を多く情報源としており、ハンプトン軍の勢力や動きについて正確な情報を得ていたのに反し、ハンプトンはド・サラベリー軍についてほとんど情報をつかんでいなかった。 ド・サラベリー軍はカナダ人志願兵によって形成されていたが、さらに民兵の選抜大隊を組織した。ド・サラベリーは、部隊兵に命じて、シャトーゲー川が大きく屈曲している所の空き地に倒木を使った障害物、逆茂木を作らせた。その後ろにカナダ・フェンシブルの軽装中隊、志願兵の2個中隊、ボーハーノワからの精鋭民兵中隊および20数名のモホーク族インディアンを配置した。逆茂木の後方1マイル (1.6 km)の浅瀬の守りには、選抜民兵の第2および第3大隊から軽装中隊と他の民兵中隊を配置した。それに続く川沿いの1.5マイル (2.4 km)には志願兵3個中隊、第2選抜民兵大隊および150名のインディアンを配し、ジョージ・マクドネル中佐が指揮を執った。 ド・サラベリーは勝利を確信していたので、上官に行動の詳細を伝えていなかった。ド・ワッテビルは馬で前線に来て、戦闘は始まっていたが、ド・サラベリーの配置に「承認」を与えた。
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