オーラヴ王の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 06:16 UTC 版)
ついに「長蛇号」は制圧され、オーラヴは戦いに敗れた。デンマーク側の資料では、すべてを失ったオーラヴ王は自ら海に身を投げてその命を絶ったという。ブレーメンのアダムによれば、それは「その生きざまにふさわしい最期」であった 。サクソ・グラマティクスは、オーラヴは敵の手にかかるよりは自ら命を絶ちたいと願い、敵の勝利を目にするよりかはと鎧などをすべて身にまとったまま船外にとびだしたとされる。ノルウェーとアイスランドの史料はより複雑で、オーラヴに好意的である。ハルフレズはその追悼詩の中で、オーラヴはスヴォルドでの死を逃れたとする噂があることをほのめかしている。他のサガでもオーラヴのその後について様々な可能性が示唆されている。『ノルウェー王のサガの概説』には以下の記述がある: 「だがオーラヴの(船からの)落下については何も分かっていない。戦いに耐え切れなくなった王は、未だ息はあったものの、「長蛇号」船尾の高所に立ち、そこには32組の漕ぎ座があった。エイナルが王を探し求めて船尾に辿り着いたとき、稲妻が落ちてエイナルは目の前が光に包まれてしまい、光が消えて視界を取り戻したときには王の姿はそこには無かった。 別のサガでは、オーラヴはどうにかして、泳いであるいは天使の助力を得て、おそらくはヴェンドの船に救助されて陸地に辿り着いた。一般には、難を逃れた後オーラヴは魂の救済を求めて、修道院に入ったと考えられている。『オーラヴ・トリュグヴァッソンの最大のサガ』には、聖なる地でオーラヴを見たとする「目撃情報」が1040年代まで記録されている。 オーラヴ王は、カール大帝やローマ皇帝フリードリヒ1世赤髭王、ポルトガル王セバスティアン1世のように人々が帰還を夢見た伝説的英雄の一人であったため、その死が完全に受け入れられることはなかったのであろう。
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