オロモウツのモラヴィア公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:54 UTC 版)
「モラヴィア君主一覧」の記事における「オロモウツのモラヴィア公」の解説
オロモウツ公 (1054年—1200/1201年)№名前肖像画生年没年統治期間備考1 ヴラチスラフ2世 1032年頃 1093年1月14日 1054年—1061年 ブジェチスラフ1世の次男、1061年—1085年にボヘミア公。 2 オタ1世 ? 1087年6月9日 1061年—1087年 ブジェチスラフ1世の五男。 3 ボレスラフ ? 1091年8月11日 1087年—1091年 ヴラチスラフ2世の息子、父のオロモウツ公国を割り当てられる。 4 スヴァトプルク ? 1109年9月21日 1095年—1109/1110年 オタ1世の息子で共同統治者。1095年頃まで幼少であったことから両人の公国は母エウフェミアの統治下におかれた。 オタ2世 ? 1126年2月18日 5 ヴラジスラフ1世 ? 1125年4月12日 1110年—1113年 ヴラチスラフ2世の四男、1109年—1117,年及び1120年—1125年にボヘミア公。 6 オタ2世 ? 1126年2月18日 1113年—1126年 再位、1123年—1126年にブルノ公。 7 ヴァーツラフ1世 ? 1130 年3月1日 1126年—1130年 スヴァトプルクの息子。 8 ソビェスラフ1世 1075年頃 1140年2月14日 1130年—1135年 ヴラチスラフ2世の五男、1125年—1140年にボヘミア公。 9 ルポルト ? 1137年以降 1135年—1137年 ボジヴォイ2世の息子、ソビェスラフ1世の意向によりオロモウツを領有。 10 ヴラジスラフ2世 ? 1165年 1137年—1140年 ソビェスラフ1世の息子、1138年にプラハを相続することを認められるものの、その死後は承認されなかった。 11 オタ3世 1122年 1160年5月12日 1140年—1160年 オタ2世の息子。 12 ヴラジスラフ3世 ? 1174年1月18日 1160年—1162年 1140年—1158年にボヘミア公、1158年—1172年にボヘミア王。 13 ベドジフ ? 1189年3月25日 1162年—1173年 ヴラジスラフ2世の息子、1172年—1173年及び1178年—1189年にボヘミア公。 14 オルドジフ 1134年 1177年10月18日 1173年—1177年 ソビェスラフ1世の息子、兄弟のボヘミア公ソビェスラフ2世により擁立される。 15 ヴァーツラフ2世 1137年 1192年 1174年—1179年 ソビェスラフ1世の息子、1173年—1174年にブルノ公、1191年—1192年にボヘミア公。 16 オタカル1世 1155/1167年 1230年12月15日 1179年—1182年 ヴラジスラフ2世の息子、兄弟のベドジフにより擁立される。1192年—1193年及び1197年—1198年にボヘミア公、1198年にボヘミア王。 17 コンラード2世 ? 1191年9月9日 1182年—1189年 ズノイモ公コンラード2世の息子、1161年以降—1191年にボヘミア公、1177年—1189年にブルノ公、1182年—1189年にモラヴィア辺境伯、1182年及び1189年—1191年にボヘミア公。 18 ヴラディミール 1145年 1200年12月11日まで 1189年—1192年 オタ3世の息子で共同統治。 ブジェチスラフ ? 1201年まで 19 ヴラジスラフ ? 1222年8月12日 1192年—1194年 ヴラジスラフ2世の息子、1192年—1194年及び1197年—1222年にモラヴィア辺境伯、1197年にボヘミア公。 20 ヴラディミール 1145年 1200年12月11日 1194年—1200/1201年 再位。 ブジェチスラフ ? 1201年まで 1200/1201年にオロモウツ公国はモラヴィア辺境伯ヴラジスラフの領域に編入された。
※この「オロモウツのモラヴィア公」の解説は、「モラヴィア君主一覧」の解説の一部です。
「オロモウツのモラヴィア公」を含む「モラヴィア君主一覧」の記事については、「モラヴィア君主一覧」の概要を参照ください。
- オロモウツのモラヴィア公のページへのリンク