オリンピック聖火と出前機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 09:49 UTC 版)
1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは日本国内を4コースに分けて聖火リレーが行われた。しかし、リレーの本番の前に道中で雨風や進路妨害の下で聖火が消されることを想定し、大切な聖火を秘めた予備のランプをランナーの追走車に搭載することになった。ところが、当時の日本の道路状況は不整地が多く、道路舗装率わずか4パーセントという酷いものであり、地面の凹凸のショックや急ブレーキによって火が途中で消えてしまう事態が懸念された。 そこで、どんな傾斜や振動でもランプの灯が揺れたり消えたりしないようにするため、出前機の機構を事前にテストした末に採用した。乗用車の後席にランプを搭載した出前機が取り付けられ、日本全国7,000キロのリレーに伴走した。 10月10日のオリンピック開会式当時でもランプに異常はなく、ランナーも順調に聖火を運んだ。先の開発者である蕎麦店主も開会式に出席し、聖火点火の瞬間、大いに感激したという。使用された出前機は旧国立霞ヶ丘競技場陸上競技場内に併設されていた秩父宮スポーツ博物館に聖火ランプとともに保存されていた。
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