オランダ・ドイツでの運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/16 02:11 UTC 版)
「Do 24 (航空機)」の記事における「オランダ・ドイツでの運用」の解説
オランダへは試作1号機と2号機と、生産型12機が輸出された。Do24K-1と名づけられたこれらの機体は、ライト・サイクロンR-1820-F52エンジン(875hp)を搭載していた。オランダでのライセンス生産はフォッカー社で行われたが、エンジンはより強力なライト・サイクロンR-1820-G102(1000hp)が搭載されていた。これらの機体は分解された後ロッテルダムから船積みされ、東インド諸島に輸送後現地で組み立てられた。ジャワ島などに配備された機体は、太平洋戦争開戦後進出してきた日本軍相手に運用されたが、戦果は不明である。その後日本軍による破壊を免れた機体の一部は、オーストラリアまで逃れオーストラリア軍により救難や洋上哨戒に利用された。 ドイツにおいては偵察・哨戒用飛行艇としてBV 138の配備が始まっていたため、Do24に対する関心は薄かった。しかし、第二次世界大戦開戦により海上救難、洋上哨戒、輸送に利用できる機体の充実が急務となり、また、1940年にオランダを占領したことにより20機のDo24とその製造ラインを確保したことから、海上救難用の機体として本機が採用されることとなった。生産は主にフォッカー社で行われ1944年末までに約180機生産された。
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