オランダ・ロンボク同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 14:46 UTC 版)
「ロンボク戦争」の記事における「オランダ・ロンボク同盟」の解説
ロンボク島には主にササク人が居住しており、16世紀にはイスラームを受け入れた。 バリ8王国のひとつカランガスム王国から来たバリ人集団が島の西部を支配した。シンガサリ王国系統のマタラム族は島の残りの領域を支配し、1839年までには島全体を支配していた。ロンボクではバリ宮廷文化が豊かに展開していた。 イギリス東インド会社のイギリス商人を通じてG.P.王(G.P. King)は外国との貿易を行っていたが、オランダはイギリスの影響を排除するためにマタラム族と1843年に条約を締結した。マタラム族は1849年のオランダによるバリ征服のためのバリ戦争においてオランダ軍と同盟関係にあった。オランダ・ロンボク(マタラム)連合軍はバリ軍に勝利し、ロンボクのマタラム族はカランガスム王国の支配権を獲得した
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