オファット空軍基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 22:32 UTC 版)
「ベルビュー (ネブラスカ州)」の記事における「オファット空軍基地」の解説
クルック砦は後にオファット空軍基地と名前を変え、ベルビューの成長に拍車を駆けた。この基地は第二次世界大戦の間にグレン・L・マーティン・カンパニーの爆撃機工場となり、戦後間もなくアメリカ戦略軍の本部になった。文民、軍属合わせて数千の働き口を提供し、彼らがベルビューを居所にした。ベルビューの人口は1940年の1,200人足らずから1950年には5,000人ほどになり、10年後には約9,000人になった。さらに10年後の1970年には人口が2倍以上の2万人を超えた。 マーティン社の爆撃機工場では歴史的に有名になったエノラ・ゲイとボックスカーを製造した。これらはそれぞれ広島市と長崎市に原子爆弾を落とす時に使われ、太平洋戦争を終わらせることになった。 オファット空軍基地には第55飛行団、アメリカ戦略軍および空軍気象局が駐屯している。 ネブラスカ州で初の中央分離帯のある道路がオマハ市境南からオファット空軍基地まで建設された。今日フォートクルック道路と呼ばれるこの道路は、1941年12月8日、すなわち真珠湾攻撃の翌日に完工した。 2017年6月23日、アメリカ空軍はオファット基地周辺で竜巻が発生し、軍用機10機が損傷を受けたと発表。この中には、破局的な状況下においても空中で軍事作戦司令部の機能を担うことができるE-4が2機も含まれており、注目を集めた。
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