オットセイ狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 14:36 UTC 版)
「アンティポディーズ諸島」の記事における「オットセイ狩り」の解説
1800年にイギリス海軍艦艇リライアンス号の船長を務めたヘンリー・ウォーターハウスは、アンティポデス諸島の海図を作成した。1803年、ウォーターハウスの義理の兄弟ジョージ・バスはオーストラリア・ニューサウスウェールズのガバナー・キング号にニュージーランド南島のダスキー・サウンドとオタゴ港以南の全ての陸地と海域における漁業独占権を与えた。この領域にはアンティポデス諸島も含まれ、そこに大勢のオットセイが生息しているのを知っていた。その年の1803年2月5日に、バスはシドニーから南に向けて出航し、消息不明となった。しかし彼のこの情報により、この島々でオットセイ狩りが1805年から1807年にかけてブームになった。中国・広州にオットセイの皮1枚を1ポンド(現在の価値に換算すると数百万ドル)で売った8万枚以上の皮を積んだ貨物を巡って、アメリカ人とイギリス人商人との間で争いも発生している。
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