エルメスでのデビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 06:05 UTC 版)
「ローラ・プルサック」の記事における「エルメスでのデビュー」の解説
ローラ・プルサックは、エミール・エルメス(Émile Hermès)と面識を得て、雇われることになった。当時の仕事はデザイナーであった。彼女が最初に作ったのは、プルオーバーだった。「ポーランドの血を引くローラ・プルサックは、ポーランドの民芸調に強く影響を受けており、まったく飛び抜けて素晴らしい色彩の調和を見せていた。彼女がデザインしたプルオーバーは、たちまち大成功を収めた」という。 次いで彼女は、浜辺に出かけるファッションや水着類を手がけるようになり、さらに冬場のスポーツウェアや田舎暮らし風のファッションにも手を伸ばした。彼女は、「エレガントなスポーツのためのスポーツウェアを提案した最初期の人物のひとり」と評されている。エミール・エルメスの娘婿で、エルメスの代理人でもあったジャン=ルネ・ゲランド( Jean-René Guerrand)の証言によると、「わが社のデザイナーだったローラ・プルサックは、プリント柄の水着を導入し、それに似合うスカーフを創り出した。モチーフを探していた彼女は、(地球の)両半球を表した2枚の図版を見つけて、これをプリントに使った。それはまだスカーフにはなっていなかったが、そのデザインの精神は既にあり、魂は各駅停車でやって来るところで、エルメスの最初のスカーフが出来上がるのは間もなくだった。」という。 1930年のはじめ、モンパルナスでモンドリアンの新作を観たプルサックは、エミール・エルメスを説得し、モンドリアンの作品に直接インスピレーションを得た、赤、青、黄色の革で覆われたバッグ類のラインを製造させた。「こうしてわが社のショーウィンドーに幾何学的な外装のバッグ、純粋にモンドリアン風のバッグが並んだ」とゲランドは述べている。
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