エリック・ビショフによる転換 - Monday Night War
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「WCW」の記事における「エリック・ビショフによる転換 - Monday Night War」の解説
WCWの転換期はエリック・ビショフによって始まった。元AWAのリングアナウンサーでWCWに雇用されてからはTVスタッフとしても働き、低迷するWCWを救うべく、1993年、フレアーらの推薦もあり副社長に抜擢された。1994年6月11日、エリック・ビショフは当時レスラーを引退して俳優として活動中だったハルク・ホーガンとの契約に成功し、半年後にはやはりセミリタイヤしてコメンテーターに転向していたランディ・サベージをWWFから引き抜いた。同年、バッシュ・アット・ザ・ビーチ'94でホーガンはリック・フレアーを破る。PPVで放送されたこの大会で高い収益をはじき出しホーガンはビショフの信頼を得た。 1995年9月4日、WCWはWWFの看板番組だったマンデーナイト・ロウ(Monday Night Raw)の裏番組としてマンデー・ナイトロ(Monday Nitro)の放送をTNT局で開始。名称からしてRAWを意識した番組であることは明白だった。ビショフは第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。WCWとWWFの対立は月曜夜の番組視聴率戦争、通称「マンデー・ナイト・ウォーズ(Monday Night War)」へと発展して2001年、WWEの買収によるWCWの消滅まで5年半に渡り続くことになる(詳しくは「WWEの歴史」を参照)。
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