エリザベス1世の妨害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/31 04:22 UTC 版)
「ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)」の記事における「エリザベス1世の妨害」の解説
まだ先代のイングランド女王メアリー1世が存命であり、メアリーがフランス王太子妃だった時に、メアリーは2通の結婚契約書にサインしていた。1つは、 フランソワをスコットランド王として即位させる事、そしてアンリ2世の死後は両国を統合する事。したがって、メアリーとフランソワの間に生まれる最初の王子も引き続き両国を統治するが、仮に生まれたのが女子のみならサリカ法典により、その王女はスコットランドを統治するにとどまる。その場合はフランソワの兄弟、またはフランソワの子孫がフランス国王になる。 と書かれていた。そしてもう1通、こちらの方は極秘であったが後に内容が明らかになってしまった契約書があった。そこには もしもメアリーが子供を産まずに死去した場合、スコットランドの他に、イングランドの王位継承権もフランスに譲渡する。 と書かれてあった。この結婚契約書が明らかになった時から、メアリーとエリザベスとの間に、生涯に渡る深い確執が引き起こされる事になった。エリザベス1世はダーンリーにロンドン帰還を命じ、命令に従わなければ反逆罪と見なすという厳しい態度を見せ、さらにまだイングランドに残っていたダーンリーの母マーガレットをロンドン塔に幽閉した。 エリザベス1世は王位継承権について弱みを持っていた。ヘンリー8世はキャサリン・オブ・アラゴンと離婚し、エリザベスの母アン・ブーリンと結婚したが、しかし依然として前王妃のとの離婚はローマ教皇に認められておらず、ローマ教皇やカトリックの国々の王から見れば、エリザベスは非嫡出子であり、メアリーこそが正当なイングランド王位継承権の持ち主であった。ヘンリー8世も、遺言状には「エリザベスにイングランド王位を継がせる」と書いていたが、その前に自ら「エリザベスは嫡出子ではない」と宣言していた。
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