エリザベスの宮廷の廷臣として
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「トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)」の記事における「エリザベスの宮廷の廷臣として」の解説
1559年1月のエリザベス1世の戴冠式はノーフォーク公が軍務伯(紋章院総裁)として取り仕切った。エリザベス女王の母アン・ブーリンの母は第2代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの娘であり、したがってノーフォーク公とエリザベス女王ははとこの関係にあたる。 1559年から1560年にかけてのスコットランド出兵では北部長官を務め、スコットランド侵攻部隊の指揮を執った。 1559年4月23日、女王の寵臣ロバート・ダドリー(後の初代レスター伯爵)とともにガーター騎士団(勲章)ナイト(KG)に叙される。しかしノーフォーク公は成り上がり者のダドリーと同等の扱いであることに不満があったという。1562年10月20日には枢密顧問官(PC)となったが、この時もレスター伯爵と同時就任だった。女王が仲裁を通じて絶対権力者として君臨し続けるため、意図的に対立している者同士を同時昇進させて対立を煽ったものと見られる。
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