エストゥディアンテス復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 10:59 UTC 版)
「フアン・セバスティアン・ベロン」の記事における「エストゥディアンテス復帰」の解説
ボカ・ジュニアーズやCAリーベル・プレートなどのビッグクラブからのオファーもあったが 、2006年6月、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートしたエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに復帰した。12月、優勝決定戦でボカ・ジュニアーズを破り、23年ぶりに国内リーグ優勝を果たした。2007年、ベネズエラで行われたコパ・アメリカで代表復帰し、3ボランチの一角として準優勝に貢献した。代表に復帰してしばらくは、ボールを持つたびにブーイングが浴びせられた。2008年のコパ・スダメリカーナでは決勝でSCインテルナシオナルに敗れたが、準優勝を果たした。2008年12月31日、フアン・ロマン・リケルメやサルバドール・カバニャスらを抑えて南米年間最優秀選手賞を獲得した。2009年のコパ・リベルタドーレス決勝はグループリーグでも対戦したクルゼイロECが相手だった。ホームでの第1戦を0-0で引き分け、優勝は難しいと思われたが、第2戦で0-1の劣勢から2-1と逆転し、自身初の優勝を果たした。クラブ史上39年ぶり4度目の優勝に導いたが、「(自分の給料を)下部組織のために使って欲しい」と40%減俸を受け入れ、契約延長に合意した。 FIFAクラブワールドカップ2009では、決勝で欧州代表のFCバルセロナに敗れて準優勝だったが、この年には2年連続の南米年間最優秀選手賞に輝いた。大会後には世界中のクラブから獲得オファーの打診を受け、中でもインテル時代の恩師ロベルト・マンチーニが率いるマンチェスター・シティFCからは1年契約で700万ポンド(約10億円)(※1400万ユーロという説も)という破格のオファーを受けたが、ベロン本人はこの話を固辞し 、エストゥディアンテスへの愛情を示した。2011年10月7日に引退宣言をしたが、チームメートからの慰留を受け引退を半年遅らせることを決断した。2012年4月にプロのキャリアから引退し、クラブのスポーツディレクターに就任した。同年6月29日、アルゼンチン6部のアマチュアクラブ、アソシアシオン・コロネル・ブランドセンに加入し、2012年シーズンのクラブの優勝に貢献した。 2013年からエストゥディアンテスに復帰し、2017年5月26日に2度目の現役引退を表明した。
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