ウォン以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:40 UTC 版)
1633年から1892年までは常平通宝(葉銭)一文銭、折二銭などが流通していた。通貨の単位は文(ムン、mun)であった。開港後の朝鮮王朝末期には5文銭など大型銭や、大東一銭、二銭、三銭などの銀貨が鋳造されたがあまり流通しなかった。 1876年に日韓修好條規付録が結ばれ、第七条第一項で日本の通貨が朝鮮で使えるようになった。また、同第二項で銭貨を私鋳した者は各その国の法律に照らして処断することとなった。 幣制の近代化のために1883年に成立した典圜局が、1888年に初の打刻製造の貨幣である1圜(ファン、warn, whan)銀貨や、10文、5文銅貨を発行した。1圜=1,000文とされた。1892年には補助通貨単位が変更され、1圜=5両(旧字体 兩、ヤン、yang)、補助単位は1両 = 10銭(チョン、chon) = 100分(プン、fun)となり、その単位に合わせて1両銀貨・2銭5分白銅貨(1/4両)・5分銅貨・1分黄銅貨が発行され、中でも2銭5分白銅貨が大量に発行された。 しかし、納付金を徴して2銭5分白銅貨の私鋳を黙許したため、貨幣の乱造、偽造硬貨の流通、密輸などで貨幣価値は暴落した。
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