ウォルター・ウィンターボトムとは? わかりやすく解説

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ウォルター・ウィンターボトム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/12 14:43 UTC 版)

ウォルター・ウィンターボトム
ウィンターボトムの胸像
名前
ラテン文字 Walter Winterbottom
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 1913年1月31日
出身地 オールダム
没年月日 (2002-02-16) 2002年2月16日(88歳没)
選手情報
ポジション MF
ユース
マンチェスター・ユナイテッド
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1936-1938 マンチェスター・ユナイテッド 26 (0)
監督歴
1946-1962 イングランド
1952 イギリス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウォルター・ウィンターボトム(Walter Winterbottom、1913年3月31日 - 2002年2月16日)は、イングランドの元サッカー選手サッカー指導者

経歴

ウィンターボトムはチェスター大学の体育学部を卒業し学校の教師を務めていたが、1936年マンチェスター・ユナイテッドへ入団し、センターハーフとしてプレーをした。しかし1938年に脊髄の病気のため、25歳で選手としてのキャリアを閉じた。

引退後は指導者の道へ進み、第二次世界大戦後の1946年イングランド代表コーチに就任すると、翌1947年5月に監督に昇格した。就任最初の試合は7-2でアイルランドに勝利した。その後、1963年までの16年間の長きに渡って監督を務め、FIFAワールドカップでは1950年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会1954年FIFAワールドカップ・スイス大会1958年FIFAワールドカップ・スウェーデン大会1962年FIFAワールドカップ・チリ大会の4大会で指揮を執ったが、スイス大会とチリ大会のベスト8進出が最高成績であった。

監督業から退いた後、大英帝国勲章1963年にはOBE、1972年にはCBE、1978年にはナイトの爵位)が授与された。2002年2月16日サリー州ギルフォードの病院で死去。89歳没。彼の死後、2005年に監督としての実績が認められイングランドサッカー殿堂入りを果たした。

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