テッド・ディッチバーンとは? わかりやすく解説

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テッド・ディッチバーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 01:39 UTC 版)

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テッド・ディッチバーン
1963年
名前
本名 エドウィン・ジョージ・ディッチバーン
Edwin George Ditchburn
愛称 Ted
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 (1921-10-24) 1921年10月24日
出身地 ジリンガム
没年月日 (2005-12-26) 2005年12月26日(84歳没)
身長 184cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
ノースフリート・ユナイテッドFC
1939-1958 トッテナム・ホットスパーFC 418 (0)
1959-1965 ロムフォードFC 147 (0)
ブレントウッド・タウンFC
代表歴2
1948-1956 イングランド 6 (0)
監督歴
1959-1962 ロムフォードFC (選手兼任)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年3月18日現在。
2. 2022年3月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エドウィン・ジョージ・"テッド"・ディッチバーンEdwin George "Ted" Ditchburn, 1921年10月24日 - 2005年12月26日)は、イングランドジリンガム出身のサッカー選手。ポジションはGK

イングランド代表が初出場した1950 FIFAワールドカップの代表メンバー。プロキャリアの全てをトッテナム・ホットスパーFCで過ごした。1950-51シーズンのトッテナムのリーグ初優勝に正GKとして貢献。トッテナム歴代6位となる公式戦通算452試合に出場した。

経歴

クラブ経歴

1937年にトッテナム・ホットスパーFCに加わるまでは製紙工場で働いていた。戦時中、イギリス空軍に加わった後、終戦後の1946年8月31日にトッテナムでリーグデビューを果たした。その後正GKとして定着し、1948年4月から1954年3月まで247試合連続出場している。1949-50シーズンから就任したアーサー・ロウ監督の下で、そのシーズンの2部リーグ優勝、その翌シーズンのクラブ史上初となる1部リーグ優勝に貢献した。1958年にトッテナムを退団。通算452試合に出場し、それまでのプロリーグ参戦以降のクラブ最多出場記録だったジミー・ディモックの438試合を抜き、歴代1位の出場数を数えた。現在でも歴代6位の出場数であり、GKとしてはパット・ジェニングス(590試合)に次ぐクラブ2位の出場数である。

代表経歴

1948年12月にスイス代表との試合でイングランド代表デビューを果たし、6-0での勝利に貢献した。1950年、イングランド代表が初出場した1950 FIFAワールドカップの代表メンバーに同僚のアルフ・ラムゼイビル・ニコルソン、エディ・ベイリーと共に選ばれたが、試合の出場は無かった。

タイトル

  • リーグ:1950-51
  • チャリティ・シールド:1951

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