ウェイド・バンニーキルクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウェイド・バンニーキルクの意味・解説 

ウェイド・バンニーキルク

(ウェイド・ヴァン・ニーケルク から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/26 05:45 UTC 版)

ウェイド・バンニーキルク
2017年
選手情報
フルネーム ウェイド・バンニーキルク
国籍 南アフリカ共和国
種目 短距離走
生年月日 (1992-07-15) 1992年7月15日(33歳)
身長 183cm
体重 70kg
自己ベスト
100m 9秒94(2017年)
200m 19秒84(2017年)
400m 43秒03(2016年)
獲得メダル
陸上競技
南アフリカ共和国
オリンピック
2016 リオデジャネイロ 400m
世界陸上選手権
2015 北京 400m
2017 ロンドン 400m
2017 ロンドン 200m
2025 東京 4×400mR


コモンウェルスゲームズ
2014年 グラスゴー 400m
アフリカ陸上選手権
2016年 ダーバン 200m
2016年 ダーバン 4×100mリレー
2014年 マラケシュ 400m
ユニバーシアード
2013年 カザン 4×400mリレー
編集 

ウェイド・バンニーキルク(Wayde Van Niekerk (South African English pronunciation: [ˈwd fʌn nˈkɛərk], アフリカーンス語: [fan niˈkɛrk]1992年7月15日 - )は、南アフリカ共和国陸上競技選手である。400mの世界記録保持者。

日本のメディアはウェイド・バンニーキルクと表記することが多いが[1]南アフリカ英語ではウェイド・ファン・ニーケアク、アフリカーンス語ではヴェイド・ファン・ニーケルクが近い。

100m9秒台、200m19秒台、400m43秒台を記録した人類初のスプリンターであり、現在でも300m30秒台を含めると史上唯一の存在であるマルチスプリンターの象徴的人物。

経歴

幼少期

母国のアパルトヘイト政策の影響で大会に出場することができずに、18歳ながら現役を引退した元陸上選手である母親オデッサ・スワーツの下に、体重僅か1000gの低出生体重児として誕生。

母は短距離、父は走り高跳びの選手であり、義理の父は長距離選手という陸上一家だった。幼い頃はラグビーをしており、17歳の時に陸上を始める。

ラグビーユニオン選手でラグビー南アフリカ代表チェスリン・コルビはいとこ。

2015年

世界陸上北京大会男子400m決勝

8月26日、世界陸上北京大会男子400m決勝で、アフリカ新記録、世界歴代4位(当時)[2]のタイムとなる43秒48を記録し世界陸上初優勝[3]

2016年

8月15日、リオデジャネイロオリンピック男子400m決勝において、マイケル・ジョンソンが保持していた世界記録(43秒18)を17年ぶりに更新する43秒03で世界新記録を樹立して[4]、金メダルを獲得した。

いとこのコルビはセブンズ南アフリカ代表としてリオデジャネイロオリンピックに出場し、銅メダルを獲得した。

2017年

6月28日、オストラバ・ゴールデン・スパイクはチェコオストラバ (Ostrava) で行われた男子300mにて、バンニーキルクは2000年にマイケル・ジョンソンが記録した30秒85の記録を上回る30秒81で世界最高記録(当時)を樹立した(この記録は2024年にレツィレ・テボゴによって破られた)。

世界陸上ロンドン大会

今大会にて、400mに加えて200mでもエントリー。

8月8日の男子400m決勝にて、今大会準優勝であり2日前の準決勝で流しながら43秒89を記録していたスティーブン・ガーディナーが寒さで44秒41に終わる悪条件の中(今大会は大会通して寒さで短距離全体のタイムが伸び悩んでいた)、バンニーキルクは200mの予選を挟み3日連続のレースでありながら、以後2日立て続けにある200mのために後半を流しつつ43秒98で走るという離れ業で世界陸上400m2連覇を達成。

8月10日の男子200m決勝にて、400mと合わせて5日間連続で走るという過密スケジュールで疲労困憊の中、20秒11で走り準優勝となった。    

膝前十字靭帯の断裂

10月7日、ケープタウンで開催されたラグビーの南アフリカvsニュージーランドのテストマッチの前座におけるタッチラグビーの試合で膝前十字靭帯 (ACL) を断裂。当時本人はそこまで深刻な怪我であるとは思っておらず、怪我判明後も10月30日に催される学生時代から長年付き合っていたガールフレンドとの結婚式を妨げないために怪我の情報は伏せておいたものの、結婚式終了後の11月1日に怪我を世間に報告し、新婚旅行を取りやめて、アメリカ合衆国のコロラド州ベールにて手術を受け成功[5]。しかし翌年以降の2018年-2019年の2年間レース復帰することはなかった。

2021年

東京オリンピックでは怪我の影響で準決勝敗退。

2022年

世界陸上オレゴンでは5位入賞。

自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風、-は向かい風を意味する。

種目 記録 年月日 場所 備考
100m 9秒94 (+0.9) 2017年6月20日 ヴェレニエ
200m 19秒84 (+1.2) 2017年6月10日 キングストン
300m 30秒81 2017年6月28日 オストラヴァ 世界歴代2位
400m 43秒03 2016年8月15日 リオデジャネイロ 世界記録

脚注

出典

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウェイド・バンニーキルク」の関連用語

ウェイド・バンニーキルクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウェイド・バンニーキルクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウェイド・バンニーキルク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS