ウィウァリウムの修道院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 16:21 UTC 版)
「カッシオドルス」の記事における「ウィウァリウムの修道院」の解説
そこには2つの建物がある。共住修道院と修養所であり、隠遁を望む人々のために建てられた。ウィウァリウムの修道院は、共住修道士を受け入れ、ともに隠棲することができるようにする施設だった。ウィウァリアムはたとえばベネディクト会のそれのような厳格な修道会の掟には従っていないようにみえるが、もとよりカッシオドルスの「綱要」は修道士の学びを手助けするものであった。そのために、「綱要」の大部分はウィウァリウムの書架で利用することを想定して書かれているのである。「綱要」の第1部はキリスト教文書を扱っており、「詩編講解」(Expositio Psalmorum)とあわせて読むことが意図されている。2冊目は自由七科を扱い、大量のギリシャ語とラテン語の文献が示され、さらなる研究のために、筆写と翻訳のための写字室がウィウァリウムには備えられていた。 世俗的な事柄を学ぶことを奨励しながらも、カッシオドルスはそれらがキリストの神性を学ぶことのたすけに大きく役立つと考えていたことは明らかだ。それはアウグスティヌスの姿勢にも通じるものがある。また一方で彼は、ギリシャ語による科学の知識を保存し、伝えることには寄与していないともいえる。 ウィウィリウムの修道院はついには解散し、忘れられてしまう。しかしおよそ630年ごろまではまだ活動していて、その頃の僧侶たちはアウグスティヌスの教えをコンスタンティノープルから学んでいた。まだ枯れずにあった聖なるものの源泉が満ち満ちることに貢献していたのだ。
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