イムマヌエル総理時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 02:42 UTC 版)
第二次世界大戦終戦直前、巣鴨プリズンから釈放された蔦田は、1945年(昭和20年)10月21日、他の2人のクリスチャンと共に「イムマヌエル綜合伝道団」を創設した。戦後の社会情勢を反映して、まず伝道団の「医務部」を千葉県船橋市に設けた。 翌1946年(昭和21年)3月「伝道部」が発足し、同年6月、イムマヌエル綜合伝道団の第1次年会が持たれた。1949年(昭和24年)にイムマヌエル聖宣神学院を創設し、初代院長就任する。 蔦田二雄は、イムマヌエル綜合伝道団の総理(代表)を務めながら、福音主義的な諸教会間の協力(超教派)のために働き、日本プロテスタント聖書信仰同盟、さらに、日本福音同盟の結成のために努力した。また、超教派の伝道集会であったビリー・グラハム国際大会の実行委員長にもなる。 また、広く国外にも関心を持ち、1960年代に日本の教会の中では、早期に世界宣教への取り組みを始め、イムマヌエル聖宣神学院の卒業生たちを国外へ、宣教留学生、また、宣教師として派遣した。
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