イスラム共和国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:13 UTC 版)
モハンマド・レザー・シャーの独裁と急進的な西欧化は市民の反発を買い、1979年にはイラン革命が起きて皇帝は失脚し、ルーホッラー・ホメイニー(ホメイニ師)による革命政権が誕生した。革命政権は、パフラヴィーに基づく通りや建物の名前を改名させたものの、都市開発の方向性自体はパフラヴィー時代を踏襲した。しかしシャーがアメリカ合衆国へと亡命したため両国間の緊張が高まり、1979年11月4日にはテヘランのアメリカ大使館を占拠してシャーの身柄引き渡しを求めるという、イランアメリカ大使館人質事件が起きた。これによって両国の関係は決定的に悪化した。 イラン・イラク戦争ではスカッドの標的となり、度重なる空襲もあり甚大な被害を出した。同時にテヘランには難民が集まり、混乱をきたした。 イラン・イラク戦争当時はソ連式の集合住宅が無計画に作られ、テヘランはさらに歴史的建造物を失った。現在では50階を越えるアパートなど超高層建築のビルが増えている。 2007年には高さ435mの新しいランドマーク・ボルジェ・ミーラードも完成した。反米強硬派で交渉する事すら不可能であるとされたアフマディネジャド元大統領が任期満了で退任した事がきっかけとなり、新大統領に選ばれたロウハニ大統領は対米穏健派とされており、これをもって2016年からアメリカ合衆国との外交対話関係が回復し、国民の多くはインターネットで動画サイトを楽しむ状況となっており、世論として冷戦初期革命前には、欧米風ジーンズを履く若者が多かった程世俗的であった首都テヘランは、急速に親欧米国家に戻りつつあるといわれていた。
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