イギリス領モーリシャスとは? わかりやすく解説

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イギリス領モーリシャス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 19:05 UTC 版)

イギリス領モーリシャス
British Mauritius (英語)
1810年 - 1968年


国旗 国章
国の標語: Stella Clavisque Maris Indici(ラテン語)
インド洋の星と鍵であれ
国歌: God Save the King(英語)
国王陛下万歳(1810年-1837年、1901年-1952年)
God Save the Queen(英語)
女王陛下万歳(1837年-1901年、1952年-1968年)

この図にはチャゴス諸島が含まれていない。
公用語 英語フランス語クレオール語
首都 ポートルイス
国王
1810年 - 1820年 ジョージ3世
1952年 - 1958年 エリザベス2世
総督
1810年 - 1823年 ロバート・ファルカー
1962年 - 1968年 ジョン・ショー・レニー
面積
1952年 2,103.17km²
人口
1952年 516,556人
1962年 701,016人
変遷
設立 1810年12月3日
パリ条約 1814年5月30日
セーシェルを分離 1903年
トロメリン島を分離 1954年
チャゴス諸島を分離 1965年11月8日
モーリシャス独立 1968年3月12日
通貨 モーリシャス・ドル
モーリシャス・ルピー
現在 モーリシャス
イギリス領インド洋地域
セーシェル
フランス
周辺地図

イギリス領モーリシャス英語: British Mauritius)は、アフリカ東方のインド洋上にあったイギリスの植民地である。 主に現在のモーリシャス共和国にあたり、セーシェルチャゴス諸島など近隣の島々を含んだ時代もあった。

歴史

ナポレオン戦争中の1810年12月3日、フランスに領有されていたモーリシャス(フランス領フランス島)は、イギリスによって占領される。 1814年5月30日パリ条約によってイギリス領としての地位が確定し、旧名のモーリシャスに戻された。

英国の行政が始まり、急速な社会的・経済的変化が続いた。 最大の変化は1835年2月1日の奴隷制度の廃止だった。 この時、フランス領の時代からアフリカからの輸入があったため損失として200万ポンドの補償金を支払った。

チャゴス諸島と併せて統治されていたが、独立直前の1965年11月に分離し、チャゴス諸島の住人約1800人はモーリシャス諸島に強制移住された。

1968年3月12日英連邦王国として独立し、モーリシャスとなった。

なおモーリシャス労働党はこの時代(1936年)に設立されたものである。

首都はポートルイスで、人口は51万6556人(1952年)、70万1016人(1962年)、面積は2103.17km²だった。

関連項目




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