イェーガンの思い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:31 UTC 版)
5月下旬、移民のひとりジョージ・フレッチャー・モーは、アッパースワン (en) で逃亡中のイェーガンと会い、現地語と混成英語で会談する機会を持つことに成功した。その時の様子を、モーは「イェーガンは歩み寄り、左手を私の肩にかけ、真剣な瞳で私の顔を覗き込みながら、右手でジェスチャーを交えて語った。その言葉を理解できなかったことが悔やまれる。だが、彼の口調やふるまいから、おおよそ彼が言いたかったことを推測できた。彼は、あとからやってきた私たちによって、彼らが住む場所から追い出され、彼らの生活を邪魔されていると言った。ただ自分たちの土地を歩くだけで白人から銃を撃たれるとも言った。そして、自分たちが何故そのように扱われるのかと問いかけた」と伝えている。この意見についてハズラクは、モーはイェーガンの言語をほとんど知らなかったため、イェーガンが主張したかった真実よりも「白人側の良心の呵責」が一部紛れ込んでしまっていると推測している。 この席で、イェーガンは父の消息を尋ねた。モーは答えなかったが、使用人のひとりがカルナック島で投獄されていると言った。これを聞き、イェーガンは「もし白人がMidgegoorooを撃ったならば、3人の命で償わせる」と警告した。結局モーは行政長官に報告するのみで、イェーガンを捕らえようとはしなかった。彼は、「誰もが彼の逮捕を望んでも、心の底ではそうならないことを願っているだろう。彼の勇気は、人をして賞賛に駆り立てる何かを秘めている」と書き残している。
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