アーロン、ミュージアル、スナイダー、メイズ
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「1956年のメジャーリーグベースボール」の記事における「アーロン、ミュージアル、スナイダー、メイズ」の解説
アメリカンリーグの個人成績はミッキー・マントルが占めたが、ナショナルリーグは後に殿堂入りを果たすスーパープレーヤーが揃った。ブレーブスのハンク・アーロンがデビュー3年目で打率.328で初めて首位打者を獲得し最多安打200本も記録した。アーロンは翌年にワールドシリーズ出場を果たす。本塁打王は43本打ったドジャースのデューク・スナイダーが獲得したが、スナイダーは同じニューヨークの球団にいたマントルとメイズと比べると、ブルックリン時代に絞ればほぼ同じ成績を上げて、1950年代(1950年 - 1959年)の10年間では1000打点以上を記録したのは、スナイダーとギル・ホッジスの2人だけで、またワールドシリーズで本塁打を4本以上を2度記録したのはスナイダーだけである。打点王は109のカージナルスの至宝スタン・ミュージアルで1941年にメジャーデビューして以来まだ3割を割ったことの無い打者で翌1957年には5年ぶりに7度目の首位打者を獲得する。そして盗塁王は40でウィリー・メイズが獲得して2年前には首位打者、前年は本塁打王、そしてこの年から以後4年連続盗塁王となる。そしてこの年に得点王と新人王となったのはレッドレッグス(レッズ)のフランク・ロビンソンで、ロビンソンは10年後の1966年にオリオールズに移籍してすぐにマントル以来となる三冠王に輝いた。 一方アメリカンリーグの新人王で盗塁王にもなったのはホワイトソックスのルイス・アパリシオで、この年にデビューしたばかりで以後9年連続盗塁王となり、1958年からゴールドグラブ賞も9回獲得している。どちらもこの年の打撃部門におけるタイトルホルダーはいずれも後に殿堂入りした選手ばかりであった。
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