アルマンド・マンサネーロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 04:13 UTC 版)
アルマンド・マンサネーロ Armando Manzanero |
|
---|---|
![]()
アルマンド・マンサネーロ(2016年)
|
|
基本情報 | |
出生名 | Armando Manzanero Canché |
生誕 | 1934年12月7日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 2020年12月28日(86歳没)![]() |
ジャンル | ボレロ、ラテン音楽 |
職業 | ソングライター、ミュージシャン、歌手 |
担当楽器 | ピアノ、ボーカル |
活動期間 | 1950年 - 2020年 |
レーベル | RCAビクター |
アルマンド・マンサネーロ(Armando Manzanero、1934年12月7日 - 2020年12月28日[1])は、メキシコ出身のポピュラー音楽の作曲家、歌手。「アドロ」の作曲家として有名である。
略歴
1935年12月7日に、メキシコのユカタン州メリダに生まれる。先住民のマヤ人の子孫としているサイトもある[2]。
1950年に、自作曲「Nunca en el mundo」(意味: この世に何もない)を発表するが、この曲は様々な言語による21種類の歌詞がつけられるほど、後に注目を集めることとなる。そのころより、ピアニストとしての仕事につく。1957年、CBSインターナショナルのメキシコ支部の音楽担当のマネージャーに就く。1958年、ラテン音楽の有名アーティストの伴奏ピアニストとしての活動を始める。1959年に、『Mi Primera Grabación』(意味: 私の初のレコード録音)というタイトルで初のアルバムをリリースする。また、歌手としての活動にも注目も集まる。
1965年の、アメリカ合衆国マイアミにおけるフェスティバル・デ・ラ・カンシォン(Festival de la Canción)にて、「Cuando Estoy Contigo」 (意味: 二人でいるとき)で第1位をとる。1967年に、「アドロ (Adoro)」を発表するが、この曲は、日本では、グラシェラ・スサーナの歌として有名になり、イージーリスニングの曲としても有名である。
1970年、「Somos novios」(意味: 私たちは恋人同士)にシド・ウェイン(Sid Wayne)による英語の歌詞がつけられ、「イッツ・インポッシブル」としてエルヴィス・プレスリーら有名アーティストによってカヴァーされる。ペリー・コモによる歌唱は、グラミー賞にノミネートされた。別のアメリカ人作曲家によって、アルマンド・マンサネーロの方が、著作権を侵害したとして訴えられ、アメリカ国内での民事裁判の評決は、マンサネーロの側に著作権料を返還する義務を負わせた。この曲は、アルマンド・マンサネーロが作曲したものであり、民事訴訟の判決が誤りであると、後に認定されている。
1978年に、スペインのマジョルカ音楽祭において、「Señor Amor」で第1位を勝ち得る。
通算すると400以上の楽曲を作曲。これらの曲について、自作自演も注目が集められるものの、フランク・シナトラら大物歌手も含め、多くの歌手によるカバーも人気を集めていた。
2020年12月28日、2019新型コロナウイルス感染症に伴う腎不全などの合併症により、メキシコシティの病院で死去[3][4][5]。85歳没。
有名な作品
- アドロ - "Adoro"
- 私たちは恋人同士 - "Somos Novios"
- あなたから学んだ - "Contigo aprendí"
- 雨のつぶやき - "Esta tarde vi llover"
- 明かりを消そう - "Voy a apagar a luz"
主なディスコグラフィ
- Mi Primera Grabación (1959年)
- A mi amor... Con mi amor (1967年)
- Manzanero el Grande (1967年)
- Somos Novios (1968年)
- Su piano y su música|Armando Manzanero, su piano y su música (1968年)
- Para mi siempre amor (1969年)
- Lo mejor de Armando Manzanero (1976年)
- Fanático de ti (1977年)
- Corazón Salvaje (1977年)
- Ternura y Romance (1979年)
- Mi trato contigo (1981年)
- Otra vez romántico (1982年)
- Armando Manzanero (1985年)
- Cariñosamente, Manzanero (1987年)
- Mientras existas tú (1988年)
- Las canciones que quise escribir (1992年)
- Entre amigos (1993年)
- El piano... Manzanero y sus amigos (1995年)
- Nada Personal (1996年)
- Intimos (1997年) (Ft. Bebu Silvetti)
- Manzanero y La Libertad (1998年) ※Ft. Tania Libertad
- Duetos (2001年)
- Duetos 2 (2002年)
- Lo Mejor de lo Mejor (2002年)
- Lo Esencial (2005年)
- De la A a la Z (2006年) ※Ft. Susana Zabaleta、DVD
- Las mujeres de Manzanero (2008年)
- Amarrados (2009年) ※Ft. Susana Zabaleta
- "Armando un Pancho" (2012年) ※デュエット with Francisco Cespedes
- "Des Armando a Tania" (2014年) ※デュエット with Tania Libertad
脚注
- ^ “「アドロ」のメキシコ歌手マンサネーロさん、コロナで死去”. AFP🔵BB News (2020年12月29日). 2024年12月28日閲覧。
- ^ Armando Manzanero - Wikipedia
Armando Manzanero Canché (born in Mérida, Mexico on December 7, 1935) is a Mexican musician and composer of Maya descent - ^ “歌手、マンサネーロさん死去 メキシコ、ヒット曲「アドロ」”. 共同通信社 (2020年12月29日). 2020年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月28日閲覧。
- ^ “Murió Armando Manzanero a los 85 años de edad” (スペイン語). Azteca Noticias (2020年12月28日). 2024年12月28日閲覧。
- ^ “アルマンド・マンサネーロ氏がコロナ感染で死去 85歳 メキシコを代表する歌手&作曲家”. Sponichi Annex. スポーツニッポン (2020年12月29日). 2024年12月28日閲覧。
外部サイト
固有名詞の分類
メキシコの作曲家 |
サルバドール・コントレラス ミゲル・ベルナル=ヒメネス アルマンド・マンサネーロ エドゥアルド・エルナンデス=モンカーダ ブラス・ガリンド |
メキシコの歌手 |
リラ・ダウンズ ナタリア・ラフォルカデ アルマンド・マンサネーロ アレハンドロ・フェルナンデス タリア |
メキシコのミュージシャン |
Reik ナタリア・ラフォルカデ アルマンド・マンサネーロ チューチョ・デ・メヒコ アンヘリカ・モラレス |
- アルマンドマンサネーロのページへのリンク