アル・マヒヤの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 14:04 UTC 版)
「ジャン・ド・ベタンクール」の記事における「アル・マヒヤの戦い」の解説
1390年、ベタンクールはトゥーレーヌ公に従ってマーディア十字軍に参加した。これはジェノヴァの商人勢力が主導したもので、北アフリカのバルバリア海賊を標的とした。十字軍を名乗ったのは、ジェノヴァの元首の提案によっている。他の十字軍と同様、従軍者は参戦したこと自体が名誉となり、債務の支払い猶予や係争事案の免除、教皇の贖宥状といった恩恵を得られた。ルイ2世率いる1,500人の騎士からなるフランス軍は、チュニスのマーディアにおいて戦闘を行った。 フランス勢力は当地の地勢に通じておらず、また威力のある攻城兵器を携行していなかったことなど誤算が重なり、内部分裂を起こした。バルバリア勢力側も、より重装備の敵増援が来た場合は撃退できないだろうという認識をもっていた。膠着状態が続いたことによる疲弊に加え、冬季が近付いたため、フランス軍はジェノヴァ勢力が取り付けた停戦交渉に合意した。 ベタンクールはこの一件の際に、ジェノヴァ人達からカナリア諸島の存在を伝えられ、諸島にて稀少で高価な染料オルセイン(英語版)の材料となる地衣類が入手出来ることを知ったと考えられる。陣中ではオルレアン公麾下時代の同僚であるガディフェール・ド・ラ・サール(英語版)と再会し、後日ともにカナリア諸島へと向かうことになった。
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