アルタル・ア・ラ・パトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 17:19 UTC 版)
「ニーニョス・エロエス」の記事における「アルタル・ア・ラ・パトリア」の解説
1947年にメキシコ軍によって行なわれた調査は公的文書と科学的な手順を欠いているが、チャプルテペクの丘の南側のアウェウェテス・デ・ミラモンと呼ばれる場所で発見された7つの頭蓋骨がこれらの士官候補生のものとされた。同年9月13日に記念の金属板が設置された:2611-2615。いくつかの公的な式典を経て、1952年9月27日にチャプルテペク城の坂にアルタル・ア・ラ・パトリア(祖国の祭壇)と呼ばれる6つの柱を持つ半円形の祭壇が建設され、柱のそれぞれに骨壺が埋葬された。またフェリペ・サンティアゴ・シコテンカトル( (es:Felipe Santiago Xicoténcatl) 、チャプルテペクの戦いで戦死した陸軍中佐)もともに埋葬されている。しかしこれらの骨がニーニョス・エロエスのものであるという科学的証拠は存在しない。 アルタル・ア・ラ・パトリアが正式名称だが、一般には「ニーニョス・エロエス記念碑」として知られ、公式の文献でもしばしばこの誤った名称で呼ばれている。また、骨の同定を行うにあたって明らかに法医学的・人類学的調査がなされていないため、これらが本当にニーニョス・エロエスのものであるかどうかについては大いに議論されている。
※この「アルタル・ア・ラ・パトリア」の解説は、「ニーニョス・エロエス」の解説の一部です。
「アルタル・ア・ラ・パトリア」を含む「ニーニョス・エロエス」の記事については、「ニーニョス・エロエス」の概要を参照ください。
- アルタル・ア・ラ・パトリアのページへのリンク