アメリカグランプリの成功と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 20:09 UTC 版)
「アメリカグランプリ」の記事における「アメリカグランプリの成功と衰退」の解説
1958年にカリフォルニア州のリバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州のワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。 当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「アメリカ東グランプリ」「ラスベガスGP」といった名称も使用された(詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照)。 しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州のフェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。
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