アメリカの歴史への見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:42 UTC 版)
「ラインホルド・ニーバー」の記事における「アメリカの歴史への見解」の解説
1952年『アメリカ史の皮肉』の中で、ニーバーはアメリカの過去が持つ意味を考察した。ニーバーは、アメリカの歴史を、その功績の点から、もしくはキリスト教徒の歴史として判断した場合、人間味のある「皮肉な」解釈が信用に値するかどうかを問うた。ニーバーの「皮肉」の概念とは、「行為の結果が、初めの意図から全く反対のものになる」という状況をさし、「(意図と結果の)不均衡の基本的な原因は、行為者自身もしくは、もともとの目的に内在する」とされる。アメリカの歴史についての彼の解釈は、この概念に基づいており、キリスト教的な観点にも関わらず、解釈が深く歴史的事象に根付いているために、読者が彼の宗教的見解を共有していなくても、同じ結論へと導くことができるのである。理想主義にとって、ニーバーは強敵であった。アメリカの理想主義は2つの形態をとるとニーバーは考えた。1つ目は、反戦の理想を掲げる非-干渉主義者で、権力によって困惑させられるタイプ。2つ目は戦争賛成の帝国主義者で、権力を美徳により偽装するタイプである。非-干渉主義者は軍事的行動を非難するか、はっきりとした道徳的な行動を要求することによって、彼らの魂の純粋性を保護しようと努める(この時ニーバーが念頭に置いていたであろう牧師ハリー・エマースン・フォスディックを名指しすることは無かった)。彼ら非-干渉主義者は、アメリカの犯す罪を大げさに言うのに、アメリカの敵の悪は弁護する、そして論客の発言の後には不回避的にアメリカをまず責める、とニーバーはいう。この彼らのやり方は、現実問題に直面するのを拒否する宗教的方法であると主張した。
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