アメリカにおける学校教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:36 UTC 版)
アメリカ合衆国では旧植民領時代からダンスは存在したが、「体操(Gymnastic)」「美容体操(Calisthenics)」「運動(Exercises)」はドイツ移民によって移入された。 学校体操は1824年から1827年にかけてF.L.ヤーンの影響を受けた、C.フォレン、C.ベック、F.リーベルらがアメリカに移住して始まった。ベックは渡米して2箇月後にはマサチューセッツ州ラウンドヒル・スクールでラテン語と体操の教師となり、1828年にはF.L.ヤーンの『ドイツ式体操術』の英訳版を出版した。フォレンはハーバード大学に勤めてドイツ体操を指導し、米国最初の大学体育館の建設のきっかけとなった。フォレンは1827年にハーバード大学で米国で最初の体操教師養成の指導も行っている。リーベルもドイツ体操を導入した一人で1827年にアメリカに移住し、ボストン体育館に勤めて水泳教師となった。 体操教師養成では、ハーバード大学に続いて、1852年にミシガン州立師範学校、1859年にニューヨーク州立師範学校に体育クラスが設置された。 大学教育ではアマースト大学に1854年に全米で最初の体育健康学科が設立され、1859年には体育館が設置された。 初等学校では1820年代には体操を導入していた学校があり、サンフランシスコでは1856年には1日30分間のバーやリングなどを使った実践の授業があった。
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