アフガニスタン・イスラム首長国の樹立
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「ムハンマド・オマル」の記事における「アフガニスタン・イスラム首長国の樹立」の解説
1996年のカーブル占領でターリバーンの最高指導者としてオマルは新政権「アフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate of Afghanistan)」を発足させ、その首長(アミール・アル=ムゥミニーン)に就任した。ターリバーンは宗教的な紐帯を軸に発足した政権であり、首長の称号もかつてのカリフになぞらえたものだったが、オマル自身はマドラサの教育を修了しておらず、宗教的な勧告(ファトワー)を発する権限は持たなかった。また、アフガニスタンの首長としての在職中はカンダハール市郊外の自宅で隠士生活を送っていた。 ターリバーン政権はイスラームの価値観に基づいたアフガニスタンの復興を目指したが、イスラームの名のもとに国民に女子教育禁止など極端な人権侵害を行ったため国際的に孤立した。さらにアメリカ合衆国やサウジアラビア政府に対するテロ行為の黒幕と目されていたビン・ラーディンとアルカーイダを客人として迎え入れて匿ったことから、アメリカと激しく対立する。アルカーイダはアフガニスタンでテロリストの訓練キャンプを設置したほか、この間にもアメリカ大使館爆破事件や米艦コール襲撃事件などのテロ事件を引き起こした。このため1999年には国際連合安全保障理事会決議1267、2000年には国際連合安全保障理事会決議1333が採択され、アルカーイダとビン・ラーディンの引き渡しが要求されたが、オマルはいずれの決議にも従わなかった。
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