アディーブ・イスハーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 13:56 UTC 版)
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人物情報 | |
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生誕 |
1856年1月21日 ダマスカス |
死没 |
1885年6月12日(29歳没) ベイルート |
学問 | |
活動地域 | エジプト、レバノン |
学派 | ナフダ、イスラーム哲学 |
影響を受けた人物 | アフガーニー、モンテスキュー、ルソー |
影響を与えた人物 | ムハンマド・アブドゥフ |
アディーブ・イスハーク(アルメニア語: Ադիբ Իսհակ、アラビア語: أديب إسحاق、1856年1月21日 - 1885年6月12日)は、オスマン朝時代のアルメニア系の思想家である[1]。19世紀の歴史的シリアおよびエジプトでジャーナリストとして活躍しながら、ルソーやモンテスキューといった啓蒙思想家を参照して革命について深い考察を行い、後世のナフダ思想の展開に少なからぬ影響を与えた[2][3]。
生涯
アディーブ・イスハークは1856年にダマスカスにて、アルメニア系の家庭に生まれ、カトリックの洗礼を受けた[4]。ダマスカスのラザリスト会学校を出た。彼の家族は、1860年に起こったキリスト教徒虐殺に際してアブド・アルカーディルの助けを受けてベイルートへ移住し[4]、そこで彼の父親は郵政職員をしていた[5]。幼少期から早熟で、ダマスカス時代の学校教師からは「必ずや詩人になる」といわれていた[3]。
1873年に、ザフラト・アル・エデブ(文学開花協会)を創設し、1876年には会長に就いた。また、フランス領事からの依頼で『アンドロマック』をアラビア語訳したこともあった[3]。
1880年に渡仏し、パリのフランス国立図書館で働きながら生活していた[5]。パリではミスル・アル・カヒラ紙を創刊したが、長くは続かなかった。また、パリの気候が彼に合わず、9か月間の滞在中に結核を患うことになった[5]。
1881年にベイルートに戻り、さらにそこからアフガーニーの噂を聞きつけてオラービー革命前夜のエジプトに向かった[3]。エジプトでは秘密結社「東方の星」に加わった後、ミスル紙を創刊し、ティジラ紙を創設したアフガーニーと協働した。
その後、1881年から1885年にかけてベイルートとエジプトの間を2度往復し、翌年結核で夭逝した[5]。
業績
イスハークは、19世紀後半のアラブ世界において重要な思想家・ジャーナリストとして多くの業績を残した。前述のミスル紙の編集長を務め、帝国主義や専制政治に対する鋭い政治批判を展開し、師であるアフガーニーの思想を継承しつつ、フランス啓蒙思想の影響を受けた独自の「自由史観」を構築し、モンテスキューやルソーの思想をアラブ世界に紹介した。イスハークの思想は「アドル(公正)」や「ズルム(抑圧)」といったイスラーム的政治概念に代わり、「自由」や「専制」といった近代的な政治用語を広めた点でも革新的であった[3]。
彼はまた、フランス文学の翻訳を通じて文化交流にも貢献し、前述のラシーヌの『アンドロマック』などをアラビア語に翻訳するなどの功績がある。また、政治評論『政治のあり方』では、行政や財政、司法、教育、治安などにおいて自由を基盤とする漸進的改革の必要性を訴え、同時代の思想家のムハンマド・アブドゥフにも影響を与えた。これらの業績により、イスハークはナフダ(文化的復興)に理論的基盤を提供し、大きな貢献を果たしたと岡崎は評価している[3]。
関連項目
- ジャマールッディーン・アフガーニー - 新聞発行をはじめとする様々なプロジェクトをともに行った。
- ムハンマド・アブドゥフ - アフガーニーの一番弟子。イスハークの漸進的改良主義はイスラーム中道派思想潮流の源流の一つとなった[3]。
出典
- ^ “CRDA - Adib Ishaq, arménien catholique du Liban, écrivain arabe né à Damas”. 2024年12月24日閲覧。
- ^ Abu-'Uksa, Wael (2016-07-04) (英語). Freedom in the Arab World: Concepts and Ideologies in Arabic Thought in the Nineteenth Century. Cambridge University Press. ISBN 978-1-107-16124-5
- ^ a b c d e f g 『アジア人物史 第9巻激動の国家建設』集英社、2024年2月26日、684-688頁。ISBN 978-4-08-157109-3。
- ^ a b “CRDA - Adib Ishaq, arménien catholique du Liban, écrivain arabe né à Damas”. www.globalarmenianheritage-adic.fr. 2020年4月8日閲覧。
- ^ a b c d Mustapha Khayati (1989). “Un disciple libre penseur de Al-Afghani : Adib Ishaq” (Français). Revue des mondes musulmans et de la Méditerranée: 138-149 .
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