アダム ピアースとは? わかりやすく解説

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アダム・ピアース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:32 UTC 版)

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アダム・ピアース
プロフィール
リングネーム アダム・ピアース
ピアース
US・マーシャル・アダム・ジュニア
アダム・オブライエン
マスクド・スパイマスター2
エル・イホ・デル・マット・クラシック
トミー・リー・リッジウェイ
本名 アダム・ジョン・ピアース
ニックネーム スクラップ・アイアン
スクラップ・ダディー
マニアック・イン・ブラック
身長 188cm
体重 111kg
誕生日 (1978-06-24) 1978年6月24日(43歳)
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンディエゴ
所属 WWE
スポーツ歴 アメリカンフットボール
野球
トレーナー エース・スティール
ソニー・ロジャース
ランディ・リッチ
ダニー・ドミニオン
デビュー 1996年
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アダム・ピアースAdam Pearce1978年6月24日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州サンディエゴ出身。

来歴

少年時代にはアメリカンフットボール野球などのスポーツに明け暮れていたが、コンパートメント症候群を患っていたこともあり、手術を受けたことにより激しい運動をすることができなくなってしまった。1995年、リハビリをしていた期間にプロレスのトレーナーであるソニー・ロジャースとランディ・リッチに出会ったことからプロレスラーになることを決意[1]

1996年5月16日、地元の高校で開催された大会にてプロレスラーデビューを果たす。以降、ウィスコンシンミルウォーキーを拠点とするインディー団体を転戦。1997年にはアダム・オブライエンAdam O'Brien)のリングネームWWFに参戦し、主にジョバーとして活動した。プロレスの技術を向上させるためにエース・スティールとダニー・ドミニオンが主宰するスティール・ドメイン・トレーニングセンターの一期生として入門。2000年にはWCWへ入団する機会が訪れるも内容が二転三転していくうちにプロレスへの情熱を失い始めたと感じプロレスを休業することになった[1]

2001年、プロレスに復帰し、PWG(Pro Wrestling Guerrilla)やUPW(Ultimate Pro Wrestling)といったカリフォルニアを拠点するインディー団体を中心に活動。

2004年メキシコのXLUM(Xtreme Latin Universal Wrestling)に参戦。2005年には新日本プロレスロサンゼルスにて主宰している新日本ロス道場へトレーニングに出向いていたことから来日する機会が訪れ来日。公開トライアウトという名目で5月14日、NEXESSのダークマッチに出場してジョージ・カストロと対戦した。

同年7月、ROHに参戦したことをきっかけにジム・コルネットより勧誘を受けて定期参戦することになる。2006年にはコルネットよりコミッショナー代理として任命され、CZWとの対抗戦にROH代表の一人として出場するなど活躍した。

ROHと並行してNWAに加盟している団体へ参戦し、2007年6月よりTNAからNWAへと返還されたNWA世界ヘビー級王座争奪トーナメントであるReclaiming the Gloryに出場。準決勝でブライアン・ダニエルソンに敗戦するもダニエルソンが負傷欠場することになったために代役として決勝に出場し、9月にブレント・オルブライトと対戦して勝利。NWA世界ヘビー級王者となった[2]。オルブライトとはこの決勝戦での対決をきっかけに因縁が生まれ、NWA加盟団体やROHで抗争が展開された。

以降、ROHでは2010年よりブッカーとして活動し、NWAでは2012年までにNWA世界ヘビー級王座を5度獲得するなど活躍。

2013年3月28日、TNAのガットチェックマッチに出場し、マグノと対戦して勝利するが、契約するまでに至らなかった[3]

2014年12月21日、CWH(Championship Wrestling Hollywood)にてコルト・カバナとの対戦を最後にレスラーとして引退を発表[4]。それまで特別トレーナーとしてNXTで不定期勤務していたが、常勤体制になるとみられる。 2019年辺りからRAWとスマックダウンの現場責任者に就任している。たびたびスキットに登場している。

得意技

バックブリーカーの体形からパワーボムへと移行する。

獲得タイトル

NWA世界ヘビー級王者時代
NWA
PWG
  • PWG世界王座 : 1回
IWAミッドサウス
  • IWAミッドサウスライトヘビー級王座 : 1回

他、アメリカのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。

入場曲

  • Walk
  • Skeletons of Society
  • Free Bird
  • Black Betty(Remix)
  • Prelude to a Bludgeoning

脚注

  1. ^ a b Complex forging of ROH's Adam Pearce Slam! Sports、2010年8月4日閲覧。
  2. ^ IWA Puerto Rico CageMatch、2007年9月1日閲覧。
  3. ^ IMPACT Wrestling #456 CageMatch、2013年3月28日閲覧。
  4. ^ FORMER NWA CHAMPION ANNOUNCES RETIREMENT”. PWInsider.com. 2014年12月22日閲覧。

外部リンク


マイス・パレード

(アダム ピアース から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 01:15 UTC 版)

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マイス・パレード
出生名 アダム・ピアース
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
ジャンル インディーロック
ポストロック
活動期間 1999年- 現在
レーベル Bubble Core Records、ファットキャット・レコーズ
共同作業者 The Swirlies
The Dylan Group
HiM
mum
The Philistines Jr.
キャロライン
Ultra Living
公式サイト Mice Parade

マイス・パレード(Mice Parade) はアダム・ピアースによるダブエレクトロニカポストロックのバンド。NY出身。自身で主催しているBubble Coreや、ファットキャット・レコーズから作品をリリースしている。日本ではクラムボンのアルバムにゲストで参加した。ドラムを主に演奏するため、他にも多数のバンドのライブでのサポートや、作品へのゲスト参加、そしてHiM( アメリカのダブ・グループ)のメンバーとしても参加をしている。

ディスコグラフィー

アルバム

  • 1998 The True Meaning of Boodleybaye
  • 1999 Ramda
  • 2001 Mokoondi
  • 2002 All Roads Lead to Salzburg
  • 2004 Obrigado Saudade
  • 2005 Bem-Vinda Vontade
  • 2007 Mice Parade
  • 2010 What It Means to Be Left-Handed
  • 2012 Candela

関連項目

外部リンク




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