アスルクラロ沼津で現役復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「中山雅史」の記事における「アスルクラロ沼津で現役復帰」の解説
2015年9月5日、磐田時代にコーチや2004年から2006年に監督として指揮を執った山本昌邦が理事長を務めるJFL・アスルクラロ沼津の練習に参加し、9月14日には現役復帰することが発表された。10月11日には、古巣のジュビロ磐田との練習試合で実戦に復帰した。中山の影響で沼津の試合で観客が増えたり、ベンチ入りしない試合でも試合会場に駆けつけチームメイトを鼓舞するなどしていたが、2015年シーズンは試合には出場しなかった。(サッカー解説者の活動も並行で継続。) J1通算157ゴール(最後の得点は2008年3月15日のG大阪戦)記録を約7年間並ばれることはなかったが、2015年11月22日にサンフレッチェ広島の佐藤寿人が通算157ゴール目を決め中山に並んだ。また、中山はスタンドで観戦しており「現時点で追いつかれただけですからね。ここから引き離していけるように頑張れればいい。素晴らしいゴールを間近で見させていただき、勉強になりました。ああいうゴールを決めたいなと情熱をたぎらせてくれる」と中山節でコメントした。 2016年シーズンも公式戦の出場は無かったが、チームはJFL年間3位となり悲願のJリーグ入りが決定した。
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