アストンマーティンDBR5とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アストンマーティンDBR5の意味・解説 

アストンマーティン・DBR5

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 08:45 UTC 版)

アストンマーティン・DBR5
カテゴリー F1
コンストラクター アストンマーティン
デザイナー テッド・カッティング
先代 アストンマーティン・DBR4
主要諸元
シャシー 鋼管スペースフレーム
エンジン アストンマーティン DOHC 直列6気筒 NA フロントエンジン
トランスミッション アストンマーティン 5速 MT
重量 575 kg (1,268 lb)
タイヤ ダンロップ
主要成績
チーム デヴィッド・ブラウン・コーポレーション
ドライバー ロイ・サルヴァドーリ
モーリス・トランティニアン
初戦 1960年イギリスグランプリ
出走 優勝 ポール Fラップ
1 0 0 0
テンプレートを表示

アストンマーティン・DBR5 (Aston Martin DBR5, DBR5/250とも) は、アストンマーティンが製作したフォーミュラ1カー1960年F1世界選手権に投入された。

設計

DBR5は、1959年に投入されたDBR4をベースにしており、同じ基本シャシーとエンジンレイアウトを使用している。DBR5は小型、軽量化され、エンジンの改良により最終的にアストンマーティンのワークショップで想定されていた数値に近い出力が得られた。DBR5はまた、全てのサスペンションが独立して装着されていた。

しかし、DBR5は強化されたリアエンジンマウント車に対して競争力のある結果をもたらすことはできなかった。アストンマーティンは結果を出すことができたスポーツカープロジェクトに集中するため、1960年限りでのF1からの撤退を決定。復帰は51年後の2021年を待つこととなる。

1960年代初めに2台のDBR5が製作されたが、アストンマーティンがフォーミュラ1から撤退した後、2台とも1961年に廃棄された。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ポイント 順位
1960年 デイビッド・ブラウン・コーポレーション アストンマーティン DOHC 直列6気筒 D ARG
MON
500
NED
BEL
FRA
GBR
POR
ITA
USA
0 -
ロイ・サルヴァドーリ Ret
モーリス・トランティニアン 11

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アストンマーティンDBR5」の関連用語

アストンマーティンDBR5のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アストンマーティンDBR5のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアストンマーティン・DBR5 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS