アスタナ・ウルトからアスタナサイクリングチームへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 17:01 UTC 版)
「アスタナ・カザフスタン・チーム」の記事における「アスタナ・ウルトからアスタナサイクリングチームへ」の解説
2006年5月、ロードレース界を震撼させたドーピング疑惑事件、通称オペラシオン・プエルトの結果、ロードレースチームであるリバティー・セグロス(スペイン)のマノロ・サイス(英語版)監督と医師が薬物違反容疑で逮捕された。この影響でリバティー・セグロスのメインスポンサーが撤退してチームの存続が危ぶまれた。しかし、チームのエースであったアレクサンドル・ヴィノクロフがカザフスタン人であり、さらに当時のカザフスタン首相ダニヤル・アフメトフがカザフスタン自転車連盟の総裁も務めていたことからカザフスタン政府が新たにメインスポンサーとなった(実際にはカザフスタンの複数企業が出資)。リバティー・セグロスは新たなチーム名にカザフスタンの首都であるアスタナ(現ヌルスルタン)の名を冠した「アスタナ・ウルト」としてこの年のUCIプロツアーに参加し、ヴィノクロフはアスタナ・ウルトで同年のブエルタ・ア・エスパーニャを制した。チームカラーはカザフスタンの国旗に用いられているものと同じ青色である。 アスタナ・ウルトチームに与えられたUCIプロツアーライセンスは2006年限りで剥奪される見通しとなった。自国の英雄であるヴィノクロフをサポートするため、カザフスタン政府はスイスを本拠地とする新チーム「アスタナ」を設立し、2007年よりUCIプロツアーに新規参入を果たした。これが「チーム・アスタナ」の公式の出発点である。この頃、カザフスタンは資源大国として潤沢な国内資金を持っていたため、UCIプロチーム設立資金の調達はさほど難しいことではなかった。 新チームには、ヴィノクロフをはじめとするアスタナ・ウルトの一部の選手が移籍した。
※この「アスタナ・ウルトからアスタナサイクリングチームへ」の解説は、「アスタナ・カザフスタン・チーム」の解説の一部です。
「アスタナ・ウルトからアスタナサイクリングチームへ」を含む「アスタナ・カザフスタン・チーム」の記事については、「アスタナ・カザフスタン・チーム」の概要を参照ください。
- アスタナウルトからアスタナサイクリングチームへのページへのリンク